量産試作のための製造現場立会いにて
今年発売予定の新製品の開発がいよいよ大詰めを迎えており、全ての部品を量産スペックに仕上げた量産試作が目前に迫っている。
技術試作と量産試作とで大きく異なる点は、前者が「試作」色が強いのに対し、後者は「量産品」色が強いという点である。
これだけではざっくりし過ぎなので、技術試作と量産試作の主な違いを下記にまとめる。
製品全体として世に出してよい完成度か、量産性は問題ないかを量産試作で確認するというイメージだ。
私は今、自らが設計を担当している部品の量産検討をするため、製造メーカーに立会いに来ている。
量産試作にあたり部品設計者が製造現場で考えなければならないことを自分なりにまとめると、以下のようになる。
1.部品としての機能・外観品位を満足しているか
2.量産に堪える歩留まり・工程であるか
3.納入期限に間に合うか
ものづくりのQCDで言うと、1がQ(Quality)、2がC(Cost)、3がD(Delivery)に相当し、設計者が一人で(場合によっては複数人で)小さなQCDの全てを考慮しなければならない。
このどれか一つでも欠けてしまうと量産試作として成り立たないため、不十分な点については現場で考え課題をクリアすることが必要となる。
例えば、成形品を確認し、形状が間違っていれば金型を下ろしてすぐに金型修正する必要があるし(実際によくある)、工程を途中まで終えた製品を用いて現場で簡易的に試験を行い、もしNGとなれば即座に設計変更→金型改造をしてOKにしなければならない。また、いくら出来上がった部品の品質が求めるものに近くても、歩留まりが想定より悪ければ、成形の各条件を変えたり、それでもダメなら何かを妥協して落としどころを探るなどの取り組みが必要になってくる。この辺になると技術力よりも交渉力の方が重要になってきたりもする。
結果を出すまで日本に帰ってくるなと皆冗談のように言うが、マジなのだ(笑)
製品の良し悪しがこの業務で決まると言われており(本当にそうだと実感している)、ベテランの技術者でも苦戦することが多い。
私のようなペーペーだと尚更である…。要領を得ていない部分も多いので、少しも気が抜けない。正直しんどい。
でも問題にぶち当たって自分の力で解決できた時は技術者としてすごく充実感を感じられる。
さて、なぜ日本から設計者がわざわざ製造メーカーに立会いに来なければいけないのか、製造のプロであるメーカーに全てを任せてはいけないのかと初めほうは疑問に感じていたのだが、何度か立会い業務を経験したことでそれが分かりつつある。
製品として満たさなければならない社内品質基準が存在し、製造メーカーに全てを任せていては基準を満たすものはまずできない(そこまでしない)。その基準を満足させるためには、各工程で一つ一つ判断し、指示・承認を出す元請け側の人間が必要不可欠なのである。
私たちの製品は他社のものに比べ、高額である。それゆえ、品質の基準も他社よりも厳しい。
時には、窓口となる責任者に言うだけでは埒があかないこともあり現場の作業者に直接指示を出すということも必要になる。
「なんでおれがここまで言わないとだめなの?あんた(責任者)が作業者にちゃんと指導しろや」と思うこともあるが、私が言わなければ、「言ったけど作業者は厳しいって言っているから、歩留まりを上げるために条件を緩くしてください」となるだけなので、現場に張り付いて逐一対策を考え指示を出していかなければならない。
製造メーカーは我々が妥協すればするほど笑顔になる。基本的には楽をしたい。
多少外観が悪くとも、寸法や重量が設計公差から外れていようとも、お客(我々)がそれでいいというならそれでいい。
勝手にお客が求める以上に頑張るということはまずない(いかに「要求通りに」頑張らせるかが鍵となる)。勝手に頑張ったところで利益が上がるわけではないのだから。
…きわめて合理的だ。そして本来それが企業として、人間として正しいスタンスなのではないかとさえ本音では思ったりもする。
私たちが必死に満たそうとしている社内基準は本当にお客さんが求めているものなのだろうか。
(私たちの商品は比較的狭い市場を狙ったものであり、「高くても良いものが欲しい」と思う人向けの商品だということを理解した上で)
お客さんが「そこまでは求めていない」と言うならば、それはただのマスターベーションではないのか。みんなが苦労して、果たして誰かが幸せになるのだろうか。
私は末端社員であり、そういうことに苦言を呈する立場にはないが、技術者の根性で品質を追い求めるこの「昭和の日本的」なものづくりのままでいいのかという学生時代より感じていたことを実際に日本のメーカーに入ってより一層強く思う。
数年前ブログに書いた「私たち若い世代がどうするか考えていかなければならない」という思いは失ってはいないが、他の解はまだ見つからない。
とはいえ、今私のやるべきことは与えられたミッションを完遂することだ。いよいよ
まだこちらでやるべきことがたくさん残っているので、最後までやりきって帰りたい。
帰りたい…。
帰りたい!
(蛇足)
このブログも気付けば開設当初からだんだん趣旨が変わってきて、「日本の製造業がんばれ俺も将来力になりたい」的な趣旨から「若手設計者の職場体験レポート」的なものに変わりつつあるなぁと思いました。これはこれで何かの役に立ったらいいなぁ。
技術試作と量産試作とで大きく異なる点は、前者が「試作」色が強いのに対し、後者は「量産品」色が強いという点である。
これだけではざっくりし過ぎなので、技術試作と量産試作の主な違いを下記にまとめる。
技術試作 | 量産試作 | |
製品スペック | 設計値に近づけることを優先 | 各部品においては多少の妥協は必要 |
社内評価試験 | NGでも量産試作でクリアすれば良い | 課題を全てクリアする必要がある |
製造歩留まり | 優先度は高くない | 量産に堪える歩留まりが必須 |
製品全体として世に出してよい完成度か、量産性は問題ないかを量産試作で確認するというイメージだ。
私は今、自らが設計を担当している部品の量産検討をするため、製造メーカーに立会いに来ている。
量産試作にあたり部品設計者が製造現場で考えなければならないことを自分なりにまとめると、以下のようになる。
1.部品としての機能・外観品位を満足しているか
2.量産に堪える歩留まり・工程であるか
3.納入期限に間に合うか
ものづくりのQCDで言うと、1がQ(Quality)、2がC(Cost)、3がD(Delivery)に相当し、設計者が一人で(場合によっては複数人で)小さなQCDの全てを考慮しなければならない。
このどれか一つでも欠けてしまうと量産試作として成り立たないため、不十分な点については現場で考え課題をクリアすることが必要となる。
例えば、成形品を確認し、形状が間違っていれば金型を下ろしてすぐに金型修正する必要があるし(実際によくある)、工程を途中まで終えた製品を用いて現場で簡易的に試験を行い、もしNGとなれば即座に設計変更→金型改造をしてOKにしなければならない。また、いくら出来上がった部品の品質が求めるものに近くても、歩留まりが想定より悪ければ、成形の各条件を変えたり、それでもダメなら何かを妥協して落としどころを探るなどの取り組みが必要になってくる。この辺になると技術力よりも交渉力の方が重要になってきたりもする。
結果を出すまで日本に帰ってくるなと皆冗談のように言うが、マジなのだ(笑)
製品の良し悪しがこの業務で決まると言われており(本当にそうだと実感している)、ベテランの技術者でも苦戦することが多い。
私のようなペーペーだと尚更である…。要領を得ていない部分も多いので、少しも気が抜けない。正直しんどい。
でも問題にぶち当たって自分の力で解決できた時は技術者としてすごく充実感を感じられる。
さて、なぜ日本から設計者がわざわざ製造メーカーに立会いに来なければいけないのか、製造のプロであるメーカーに全てを任せてはいけないのかと初めほうは疑問に感じていたのだが、何度か立会い業務を経験したことでそれが分かりつつある。
製品として満たさなければならない社内品質基準が存在し、製造メーカーに全てを任せていては基準を満たすものはまずできない(そこまでしない)。その基準を満足させるためには、各工程で一つ一つ判断し、指示・承認を出す元請け側の人間が必要不可欠なのである。
私たちの製品は他社のものに比べ、高額である。それゆえ、品質の基準も他社よりも厳しい。
時には、窓口となる責任者に言うだけでは埒があかないこともあり現場の作業者に直接指示を出すということも必要になる。
「なんでおれがここまで言わないとだめなの?あんた(責任者)が作業者にちゃんと指導しろや」と思うこともあるが、私が言わなければ、「言ったけど作業者は厳しいって言っているから、歩留まりを上げるために条件を緩くしてください」となるだけなので、現場に張り付いて逐一対策を考え指示を出していかなければならない。
製造メーカーは我々が妥協すればするほど笑顔になる。基本的には楽をしたい。
多少外観が悪くとも、寸法や重量が設計公差から外れていようとも、お客(我々)がそれでいいというならそれでいい。
勝手にお客が求める以上に頑張るということはまずない(いかに「要求通りに」頑張らせるかが鍵となる)。勝手に頑張ったところで利益が上がるわけではないのだから。
…きわめて合理的だ。そして本来それが企業として、人間として正しいスタンスなのではないかとさえ本音では思ったりもする。
私たちが必死に満たそうとしている社内基準は本当にお客さんが求めているものなのだろうか。
(私たちの商品は比較的狭い市場を狙ったものであり、「高くても良いものが欲しい」と思う人向けの商品だということを理解した上で)
お客さんが「そこまでは求めていない」と言うならば、それはただのマスターベーションではないのか。みんなが苦労して、果たして誰かが幸せになるのだろうか。
私は末端社員であり、そういうことに苦言を呈する立場にはないが、技術者の根性で品質を追い求めるこの「昭和の日本的」なものづくりのままでいいのかという学生時代より感じていたことを実際に日本のメーカーに入ってより一層強く思う。
数年前ブログに書いた「私たち若い世代がどうするか考えていかなければならない」という思いは失ってはいないが、他の解はまだ見つからない。
とはいえ、今私のやるべきことは与えられたミッションを完遂することだ。いよいよ
まだこちらでやるべきことがたくさん残っているので、最後までやりきって帰りたい。
帰りたい…。
帰りたい!
(蛇足)
このブログも気付けば開設当初からだんだん趣旨が変わってきて、「日本の製造業がんばれ俺も将来力になりたい」的な趣旨から「若手設計者の職場体験レポート」的なものに変わりつつあるなぁと思いました。これはこれで何かの役に立ったらいいなぁ。
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