ユダヤ人の帽子とモチベーション
先日、大学院の授業でこんな話を聞いた。
ユダヤ人がかぶっている小さい帽子あるよね。こういうの↓

キパ(Kippah)というらしい。
ある日、この帽子をかぶっている人を見かけた子供達は、「ユダヤ人、ユダヤ人」とそのユダヤ人を馬鹿にしておもしろがった。
すると、ユダヤ人はこう言った。
「今から10回『ユダヤ人』と馬鹿にして言う度に100円あげるよ。」
当然、子供達は熱心に「ユダヤ人、ユダヤ人、ユダヤ人…」と言い続けた。
次の日、ユダヤ人は同じ子供達にこう言った。
「今日も『ユダヤ人』って言う度にお金をあげるよ。ただし、今日は100回で1円だ。」
すると、子供達は、「そんな少ないお金で、やってられないよ。」と言い、とうとうユダヤ人を馬鹿にするのをやめてしまった。
人間の動機には2種類ある。
「外的動機」と「内的動機」だ。
「外的動機」とは、お金とか地位などの外から与えられる動機のこと。
「内的動機」とは、自分が本当に面白い、楽しいと思うことで、外からではなく内から出てくる動機のこと。
子供達はなぜユダヤ人を馬鹿にするのをやめてしまったのか。
子供達は、始めは(差別が悪だということはさておき)「内的動機」によりユダヤ人を馬鹿にし始めた。
しかし、ユダヤ人の発言により、馬鹿にするという行為がお金という「外的動機」によるものに摩り替わってしまった。
最後に、報酬が下がったことによってその「外的動機」がなくなってしまい、ついには馬鹿にすることの動機がなくなってしまったというわけ。
そう、このユダヤ人は子供達が馬鹿にするのをやめさせるために、「内的動機」を「小さな外的動機」に摩り替えるという高等テクニックを駆使したのである(!)
学生である自分としては、仕事にも同じことが言えるんだろうなぁってことを思った。
給料、地位、ブランドなどの「外的動機」は魅力的だがとても不安定なもの。しっかり自分の中の「内的動機」を見定めて楽しく働きたいという平凡な感想を持ったが、この先生が言いたかったこともたぶんそういうことだろう。
ん?さっきの話を逆に考えてみると、まず「外的動機」で釣っておいて、始めは小さかった「内的動機」をだんだん大きくしていければそれはすごく大きなモチベーションになるってことになるのでは?
そう考えたら、新卒に最高1500万円の年収を出すっていうGREEの採用の方法は案外的を射てるんじゃないか?
なんてね(笑)
ユダヤ人がかぶっている小さい帽子あるよね。こういうの↓

キパ(Kippah)というらしい。
ある日、この帽子をかぶっている人を見かけた子供達は、「ユダヤ人、ユダヤ人」とそのユダヤ人を馬鹿にしておもしろがった。
すると、ユダヤ人はこう言った。
「今から10回『ユダヤ人』と馬鹿にして言う度に100円あげるよ。」
当然、子供達は熱心に「ユダヤ人、ユダヤ人、ユダヤ人…」と言い続けた。
次の日、ユダヤ人は同じ子供達にこう言った。
「今日も『ユダヤ人』って言う度にお金をあげるよ。ただし、今日は100回で1円だ。」
すると、子供達は、「そんな少ないお金で、やってられないよ。」と言い、とうとうユダヤ人を馬鹿にするのをやめてしまった。
人間の動機には2種類ある。
「外的動機」と「内的動機」だ。
「外的動機」とは、お金とか地位などの外から与えられる動機のこと。
「内的動機」とは、自分が本当に面白い、楽しいと思うことで、外からではなく内から出てくる動機のこと。
子供達はなぜユダヤ人を馬鹿にするのをやめてしまったのか。
子供達は、始めは(差別が悪だということはさておき)「内的動機」によりユダヤ人を馬鹿にし始めた。
しかし、ユダヤ人の発言により、馬鹿にするという行為がお金という「外的動機」によるものに摩り替わってしまった。
最後に、報酬が下がったことによってその「外的動機」がなくなってしまい、ついには馬鹿にすることの動機がなくなってしまったというわけ。
そう、このユダヤ人は子供達が馬鹿にするのをやめさせるために、「内的動機」を「小さな外的動機」に摩り替えるという高等テクニックを駆使したのである(!)
学生である自分としては、仕事にも同じことが言えるんだろうなぁってことを思った。
給料、地位、ブランドなどの「外的動機」は魅力的だがとても不安定なもの。しっかり自分の中の「内的動機」を見定めて楽しく働きたいという平凡な感想を持ったが、この先生が言いたかったこともたぶんそういうことだろう。
ん?さっきの話を逆に考えてみると、まず「外的動機」で釣っておいて、始めは小さかった「内的動機」をだんだん大きくしていければそれはすごく大きなモチベーションになるってことになるのでは?
そう考えたら、新卒に最高1500万円の年収を出すっていうGREEの採用の方法は案外的を射てるんじゃないか?
なんてね(笑)
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