2012年11月

ユダヤ人の帽子とモチベーション

先日、大学院の授業でこんな話を聞いた。

ユダヤ人がかぶっている小さい帽子あるよね。こういうの↓
Kippah.jpg

キパ(Kippah)というらしい。
ある日、この帽子をかぶっている人を見かけた子供達は、「ユダヤ人、ユダヤ人」とそのユダヤ人を馬鹿にしておもしろがった。
すると、ユダヤ人はこう言った。
「今から10回『ユダヤ人』と馬鹿にして言う度に100円あげるよ。」
当然、子供達は熱心に「ユダヤ人、ユダヤ人、ユダヤ人…」と言い続けた。
次の日、ユダヤ人は同じ子供達にこう言った。
「今日も『ユダヤ人』って言う度にお金をあげるよ。ただし、今日は100回で1円だ。」
すると、子供達は、「そんな少ないお金で、やってられないよ。」と言い、とうとうユダヤ人を馬鹿にするのをやめてしまった。

人間の動機には2種類ある。
「外的動機」と「内的動機」だ。
「外的動機」とは、お金とか地位などの外から与えられる動機のこと。
「内的動機」とは、自分が本当に面白い、楽しいと思うことで、外からではなく内から出てくる動機のこと。

子供達はなぜユダヤ人を馬鹿にするのをやめてしまったのか。

子供達は、始めは(差別が悪だということはさておき)「内的動機」によりユダヤ人を馬鹿にし始めた。
しかし、ユダヤ人の発言により、馬鹿にするという行為がお金という「外的動機」によるものに摩り替わってしまった。
最後に、報酬が下がったことによってその「外的動機」がなくなってしまい、ついには馬鹿にすることの動機がなくなってしまったというわけ。

そう、このユダヤ人は子供達が馬鹿にするのをやめさせるために、「内的動機」を「小さな外的動機」に摩り替えるという高等テクニックを駆使したのである(!)


学生である自分としては、仕事にも同じことが言えるんだろうなぁってことを思った。
給料、地位、ブランドなどの「外的動機」は魅力的だがとても不安定なもの。しっかり自分の中の「内的動機」を見定めて楽しく働きたいという平凡な感想を持ったが、この先生が言いたかったこともたぶんそういうことだろう。

ん?さっきの話を逆に考えてみると、まず「外的動機」で釣っておいて、始めは小さかった「内的動機」をだんだん大きくしていければそれはすごく大きなモチベーションになるってことになるのでは?

そう考えたら、新卒に最高1500万円の年収を出すっていうGREEの採用の方法は案外的を射てるんじゃないか?

なんてね(笑)

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物理が嫌いな人にしたい話

「物理って難しいしおもしろくない。こんなの勉強して何かいいことあるの?」


そうだな、物理難しいよな。
ところで、君は好きな人いる?
もしいたらその子と一緒に遊んだり話したりするのを思い浮かべて。
ひょっとしたら恥ずかしくてまだなかなか近づけなかったりするかもしれない。

万有引力の法則って聞いたことあるよな。物を手放したら地面に落ちるあれ。
なんで地面に落ちるかって言うと、地球と物との間に万有引力の法則が成り立つから。
万有引力の法則は、

 (二つの物体の間に働く力)
 =(万有引力定数)×(一つ目の物の質量)×(二つ目の物の質量)÷(二つの物体間の距離の二乗)

と書ける。この力によって物が地球に引きつけられるから物は地面に落ちる。
さっきの例だと相手は地球で引きつけられるのは物だったけど、この法則は宇宙に存在するどんな二つの物体にも成り立つ。
つまり、君と君の好きな人の間にも万有引力の法則は成り立つ。
そう、君と君の好きな人は見えない力でお互いに引きつけ合ってる。これは紛れもない事実。

じゃあ、どうやったら二人の力を大きくすることができるのか。
万有引力定数は決まった数字だから変えられない。
まず考えられるのは、君か君の好きな人が太って重くなることだ。
君か君の好きな人がもし痩せ過ぎているのならいっぱい食べて太ればいい。
でもこれはそんなに簡単ではないし、太るのはきっと君も君の好きな人もできれば避けたいだろう。
じゃあどうしたらいい?

答えは簡単だ。二人の距離を縮めればいい。
しかも、二人の力は距離の二乗に反比例するから、距離が近ければ近いほどその力は急激に大きくなる。
例えば、今まで2歩あった距離を思い切って1歩にすることができたら、二人の力は一気に4倍になる。

そう考えたら好きな人に近づく勇気が少し湧いてくるよな。
ほら、物理っておもしろいでしょ?


ってちょっと言ってみたい。キモいか(笑)

そういえばぼくに物理のおもしろさを教えてくれた高校の先生は今どうしてるんだろうか。
「エックス」のこと毎回「エッキス」って言ってておもしろかったな。
当時のノートは今も大事に残してる。
 

未来の製造業! っておい

今話題の『MAKERS』を読んだ。
これからの製造業がどのようになっていくのかを書いた本。

MAKERS―21世紀の産業革命が始まるMAKERS―21世紀の産業革命が始まる
(2012/10/23)
クリス・アンダーソン

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内容を超短く書くと、

「圧倒的生産力を持っていた大企業による市場独占は終わり!これからは場所や製造力を持ってなくてもアイディアさえあれば誰でもものづくりができる時代が来る。てかもう来てる。そんでそういう小規模なメーカーが増える。なんでかって言うと、3Dプリンター、レーザーカッターやCNC装置といったデジタル製造ツールの値段がこなれてきたから。CADで図面書いて、そのデジタルデータを3Dプリンターに投げたら自動で試作品のできあがり!そのあとは完成品を作ってくれるとこ見つけて欲しい数だけ作ってもらったらいい。ウェブ有効に使ってオープンでソーシャルにしたら有能な協力者も買い手もすぐ見つかるよ!つまり未来の製造業はどんどんデジタルになってハードウェアもソフトウェアみたいになっていくよ!」

ってかんじ。(超短くはない)
確かに誰でも簡単にものづくりができるようになってきているのは素晴らしい。優れたアイディアを持っていながら、製造手法を持っていないために能力を発揮できていない人がたくさんいるから。
そういう人がデジタルツールの使い方さえ修得すれば、これまでとは比べ物にならないくらい早くそのモノを作ることができる。そして高度に発達したウェブを利用することでさらに早く(それはまるでIT業界のように)ビジネスにしてしまえるチャンスが生まれる。これを21世紀の産業革命と呼ばずしてなんと呼ぶ!


…でもちょい待ってくれ。
それじゃ優れたアイディアやデザイン以外の専門知識を持った製造業従事者はどうなんの?
ぼくらみたいな学生はまだいい。今までの知識に加えて、これからそれらを学ぶ時間は十分ある。でもそうじゃない技術者たちは駆逐されていくの?どうすれば労働に付加価値をつけれんの?
このあたりは(ぼくが見逃していなければ)この本には書かれていない。

そう思ってネットで情報収集していると、やっぱり同じような事を思う人は珍しくなかったみたい。
以下、誰もが「作り手」になれる時代、エンジニアの存在価値とは?~『MAKERS』著者クリス・アンダーソンに聞く【キーパーソンインタビュー】 からの引用。

―― そうなると、これまで製造業でエンジニアをやってきた人たちは、スキルを持っているだけでは職業的な価値を生み出せなくなります。「メイカーズの時代」が来ても価値を持ち続けるエンジニアと、そうでないエンジニアの差はどこで生まれるのでしょう?

わたしが興した3D Robotics社の話をしましょう。3D Roboticsには、ラジコン飛行機の開発・製造をプロフェッショナルとして行っているエンジニアと、専用のオンラインコミュニティ『DIY ドローンズ』に参加するボランティアのエンジニアがいます。

ボランティアで参加している人は、日ごろ別の仕事を行っているアマチュアで、広告代理店や銀行に勤めている人たちが手探りで技術を学びながら開発に参加しています。

では、プロフェッショナルなエンジニアは何をやっているか。一言で言えば、コミュニティに参加するアマチュアの指南役です。

この役割はとても大切で、プロとして学んできた開発のベストプラクティスをアマチュアエンジニアに教えたり、自分たちが研究した改善方法をコミュニティ内に発信したりするのです。

―― つまり、メイカーズとしてコミュニティに参加する人たちを「教え導く」のがプロの仕事になると?

ええ、そうなっていくと思います。

―― その際に問われる「ベストプラクティス」というのは、個々人の経験則によって生み出されるものだと思うのですが、自らの経験則を使ってイノベーションを生み出せる人と、単なるチームマネジメントに終始してしまう人の差は何だと思いますか?

その質問は答えづらいですね……。そもそも論として、わたしは今の世の中がすでに“Too much innovation”だと思っているからです。

オンライン上のコミュニティを覗いてみると、今は至るところにイノベーションの種があって、多くの人がこれから求められるイノベーションについて議論をしています。つまり、イノベーションはすでに数多く生まれているのです。

だから、プロフェッショナルなエンジニアが考えるべき問題は、イノベーションを「生む」フェーズにはない。むしろ求められているのは、さまざまなところで語られているイノベーションのアイデアを、「商品」に変えていくためのプロセスづくりだと思います。


(引用終わり)

んー。アイディアを形(試作品)にするのは簡単になったけど、やはり製品として世に出すためには様々なプロセスや高度な技術があって、そのためにそれを指導できる専門知識を持った技術者が必要ってことかな。

いやはや、これから学ぶこと、その学び方、将来の働きかたをよく考えるきっかけになる一冊だった。
メーカーに関わっていこうと思う人はぜひ読んだらいいと思う。

ものづくりやるかな。(研究と就活だけに時間を割きたくはない)
 

「私のどんなところが好き?」


でました、男なら一度は経験する、彼女からの究極の難題(笑)

答えによっては機嫌を損ねる可能性も十分にあるので、非常にやっかいな質問であります。
全く女の人は何を思ってそんなことを聞くのだろうと思うよね。

あなたは、確かに彼女のことが好きです。でも、よくよく考えてみると、どこが好きなのかがわからなかったりします。
外見?中身?顔とかスタイルって言ったら、外見で人を判断するやつだと思われそうだし、性格の良さを納得する形で示すのも難しいし…あれなんだよな、なんか雰囲気とかそういうのも好きなんだけどうまく言えないな…

あなたは錆びた脳をフル回転させ、彼女のいろいろな「好きな所」を答えます。

「顔」→「じゃあ歳をとったら嫌いになるね」
「スタイル」→同様
「前向きな性格」→「じゃあ落ち込んでネガティブになってるときは好きじゃないんだ」
「好きな事に打ち込んでるところ」→「じゃあもしそれがなくなったら好きじゃなくなるね」
「(具体的なエピソードつきで)あのときのこういうところが好き」→「ふんふん、他には?」


あなたは、知っています。面倒くさいなどと思ってはいけない。これは思考のトレーニングなんだ!

しかし、とうとうこれ以上好きなところを言えなくなってしまいました。
他にも好きなところはあるはずなのに、それをうまく言葉で言い表すことができません。
しかも、それまでに挙げたのより、彼女にしかないもっと本質的に好きなところがあるような、もやもやしたかんじがします。

なぜ、「これだ!」という本質的に好きなところが言葉にならないのでしょうか。

これは、ぼくにとって長年の疑問でした。べつに女の人の悪口を言いたいわけではありません。


最近、この疑問に対する一つの答えを見つけました。

その答えとは、こうです。
すぐに思いつくような好きなところは、すでにどこかで聞いたり言ったりしたような、他人に簡単に説明できる女の人の好きなところなのです。つまり、「既知の良さ」です。

一方、言葉にして他人に説明するのは難しい彼女特有の好きなところ、なんかわかんないけど好きというところは、あなたがうまく理解していない、彼女の「未知の良さ」なのです。
そして、この「未知の良さ」にこそ、あなが本当に彼女を好きな理由が含まれているのです。

したがって、彼女の好きなところをうまく説明できなくても、それはある程度仕方のない事なのです。だって、それはまだ言葉にできない「未知の良さ」なのですから。


この「既知の良さ」「未知の良さ」という考え方は、ものづくりにも同じことが言えます。

すでに世に出ている製品の良いところ、例えば処理能力、画面の解像度、耐久性などを高めていけば、作る側も買う側もその良さを既に知っていますから、その良さがより大きくなればより売れるはずだと作る側は考えます。
この改善、改良により製品の「既知の良さ」をより高めるというのは、日本が得意としてきたところです。

しかし、その「既知の良さ」を根底から覆してしまうような、革新的な製品が世に出ることがあります。お客も「こういうものが欲しかった」とは全く思っていなかったため、その製品の本当の良さをすぐには理解できないかも知れません。すなわち、「未知の良さ」です。このような革新的な製品は、その良さが認知され始めると、たちまち世間をにぎわします。
こういったものづくりは、日本は不得意でした。

この考え方は、任天堂「Wii」の企画担当者である玉樹真一郎氏が提唱しているものです。
Wiiが発表された直後は、その良さが理解されず、「任天堂は狂った」といたるところで言われていたそうです。
しかし、Wiiは全世界での販売台数が9500万台を超える大ヒットハードとなりました。

これからの日本のものづくりに必要なことの一つは、「既知の良さ」を追求することよりも、いかに「未知の良さ」を考え抜いた上で製品の企画・開発をしていくかなのではと思います。


話を戻します。彼女にはこう言いましょう。
「今、すぐに言葉として出てくるのは、すでに他の人にもあって一般的によく知られている『既知の良さ』だ。それらとは一線を画する君にしかない良さがあるのは確かであって、ぼくが本当に好きなのもそういうところだ。でも、そういうものは言葉ではなかなか表現できないものなんだ。なぜなら、それは『未知の良さ』なのであって、ぼくも君自身もまだ理解しきれてはいない。だから、これから付き合っていくうちにそれはよりはっきりしたものになっていくはずだ。ぼくはそれを大事に育てていきたい。そして、その時がきたら君に本気で伝えようと思っている」

どうなっても知らんけど。
 

もし、あの人が今も生きていたら

あの人が今も生きていたら、日本の製造業、特に家電業界はこんな状況ではなかったのかもしれない。

その人は、まだ生きていた時、こう言っていた。

「産業人の使命は、水道の水の如く、貴重なる生活物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供することにある。それによって人生に幸福をもたらし、この世に楽土を建設することができるのである。」

すなわち、あらゆる電化製品が大量生産により安く供給される時代が必ず来る、来なくてはならない、ということを見通していたといえる。
しかし、日本のメーカーは大量生産することよりも国内生産、自前主義にこだわった。その結果、中国で大量生産している海外企業との間に、性能や品質の良さでは補い切れないほどの価格差をつけられてしまった。当然、高品質で高価格の製品よりもそこそこの品質で安い製品が発展途上国も含めた世界中で売れまくり、日本の電化製品、特にデジタルテレビは日本でしか売れなくなってしまった。


「万物がつながっている社会で、ある特定の者だけが栄えることは、一時的にはあるかもしれないが、決して長続きはしない。すべてが共に栄える、共存共栄するということでなければ、真の発展、繁栄はありえない」


これは、開発、製造、販売までを一社ですべて行う「垂直統合」による自前主義で儲かることは一時的にはあるが、長期間に渡って繁栄していくためには、各工程をそれぞれ得意な会社に外部委託する「水平分業」によって協力し合っていかなければならない、ということを言っていたと解釈することができる。
日本のメーカーは技術・ノウハウを秘匿するために、「垂直統合」にこだわり続けた。一方、アップルをはじめとした海外メーカーは、部品調達や組立を韓国、中国、台湾などのメーカーと積極的に「水平分業」し、それらのアジア諸国の成長にも一役買った。結果はいうまでもない。

あの人が現代に生きていたら、日本のメーカーは、1980年代の「垂直統合」による成功は捨て、積極的に「水平分業」を取り入れていただろう。


「企業にとってもっとも大切なのは人材である」

1929年の世界大恐慌で日本も金融恐慌に巻き込まれ、日本企業も非常に苦しい状況に陥り、従業員を解雇していった。しかし、その人は「嵐のときほど、協力が尊ばれるときはない」と言い、雇用には一切手をつけなかった。
1991年のバブル崩壊後、日本企業は何度もリストラをし、人員を削減してきた。こうしたリストラは、確かに一時的には固定費を減らすことができる。しかし同時に、家電メーカーでリストラされた人材は、その貴重な技術とともに韓国や台湾などの振興メーカーに流出し、それらのメーカーの実力を急速に伸ばす結果となった。


「客のためになるものを売れ」

あの人は、お客さんが本当に使ってよかった、買ってよかったと思えるものを売らないと、一度は買ってくれても二度目はないと考え、世の中の人々が本当に喜ぶものをお手頃価格で売り続けた。
電化製品には、最先端の技術力をアピールする「見せ筋」、大量に売れて利益がしっかり取れる「売れ筋」、お客を呼ぶために利益度外視の「呼び筋」の3種類が存在する。韓国メーカーは、「売れ筋」の商品にしぼり、世界中で販売数を急激に伸ばしていった。一方、日本のメーカーは、多機能、最新鋭の技術をアピールすれば売れると思い、「見せ筋」の商品に注力した。こういった商品は、日本では好まれるが、海外では安価な「売れ筋」の商品が圧倒的に売れる。技術にとらわれ、その国のお客の本当にためになるもの、本当に欲しいものを見失ってしまっていた。


日本の製造業・家電業界がこのような状況に陥ってしまったのは、技術におごることなく、目先の利益にとらわれず先を見据え、日本のメーカーを正しい方向に導くあの人のような人材が不足しているからだと考えられる。日本の家電業界は、こけた。これは事実だ。

しかし、あの人は生前こう言っている。

「こけたら立ちなはれ。」

失敗した理由を後から言うのは簡単だ。いろんなところで、同じようなことが言われている。それにしても、まだ若いくせに「もう日本の家電業界はオワコン」とか、「おれんとこの会社はあそことは違って黒字だ」とか言ってるやつらはなんなんだ本当に。
今、ぼくら若い世代がやらなければいけないことは、「家電業界はダメだ」と口に出すことではなく、一人一人が「どうすればもう一度立てるか」を考えて、それを支えたり、周りを引っ張っていく人材になっていく努力をすることだ。
実際に各家電メーカーも復活に向けて体制を整え、新たな指針を打ち出している。

長々と失敗の原因を書いたけれど、ぼくは日本の製造業、家電業界が本当にダメになったとは全く思っていないし、むしろここからの這い上がりに大いに期待している。自分がそれを支える一人になれたら、とても嬉しく、誇りに思うだろう。


この記事は、松下幸之助は泣いている 日本の家電、復活の条件 (朝日新書)などを参考にしました。


村上福之氏の『ソーシャルもうええねん』を読んで

ぼくの中で、少し前から勝手にファンになっている人がいる。村上福之(むらかみふくゆき)氏だ。エンジニアtypeというサイトの、彼が書いたなぜ日本の伝統的メーカーは「エラい人のキーワードでモノつくる構造」を早くやめられないのかという記事を読んで面白いと思った。それから、他の記事も読んだりTwitterでフォローしてみたりしている。その村上氏が最近本を出したということで、購入して読んでみた。
タイトルは、『ソーシャルもうええねん』。このタイトルからしてなんか「おっ!」と感じるものがある。

ぼくは最近になってようやくフェイスブックを始め、つい数日前にTwitterを始めた。みんながやっているを知りながら、利用を見送っていたのは、「学生である自分が使ってもメリットなんかあるのか?それよりも個人情報流出とかのリスクのほうが大きいんじゃないか。」とずっと思っていたから。今両方のSNSを使ってみて、思ったより面白いことに気づいた反面、やはり当初から抱いていたウサン臭さはまだ感じたままだ。
だから、きっとこの本はぼくが抱いているSNSに対する思いをよりはっきりとした形で示してくれる本なんだろうぐらいに思っていた。

結論から言うと、それをはっきり示していただけではなく、(ソーシャルとは少し離れた)もっと大事なことがたくさん書いてあった。まんまとタイトルに釣られたが、とてもいい釣られ方をしたと思う。最近読んだ本の中でもかなりオモロいほう(と言っても週1冊ぐらいしか読めていないが)。
本の感想書くのとかおそらく小学校の読書感想文以来なのでちゃんと書ける気はしないが、この機会に書こうと思う。どこまで書いていいのか分からないけど、いざとなったらごめんなさいしよう。

「フォロワーもいいね!もカネで買える」「ユーザー数イコールお金」というSNSの茶番。ケータイソーシャルゲームのバカバカしさ。興味深かったのが、「開発者と全く反対方向のカテゴリーのユーザーに、バカバカしいと開発者自身も思っているサービスを提供して儲ける」ということ。ぼくは自分で作った製品には絶対に誇りを持てるようなエンジニアになりたいと思っているが、ソーシャルゲーム開発者は真逆の人たちなんだろうか。まぁ儲けたやつがエラいってやつか。
この辺の話ももちろんオモロかったんだけど、とても気に入ったのは、「大事にするべきは、ソーシャルネットワークそのものではなく、かけがえのない血の通った人間」という言葉。本当にその通りだと思う。友達とSNSで頻繁にやりとりをしていると、直接会うことの大事さが失われていくような気がする。SNSでの友人とのやりとりは、相当に薄っぺらいものになってしまう。そして、大事な思いや、その人が本当はどんな人なのかっていうのは、例えある程度仲が良い友人でも直接二人で会って話さないことにはきちんと伝えられない。みんなSNSでは上っ面の会話だけのように感じる。かといって私生活や本性をちょっと自慢げにさらけ出している人も見ていて痛々しい。ぼくがSNSとうまく付き合えるようになるのはまだまだ時間がかかりそう。

「いろいろ考えるより、海外で話題のサービスをパクれ」。この言葉自体はmixiを作った衛藤バタラさんて人が言ったらしいんだけど、それを受けて実際には見てもいないサービスを1日で再現した村上氏の行動力はとても簡単に真似できるものではない。仮にぼくが優秀なプログラマーだったとしても。新入社員の頃に勝手にプリンターのドライバーを作ったり、ほとんど会社登記に関する知識がないまま見切り発車で起業したりしているところからも村上氏の卓越した行動力がうかがえる。いわゆる「走りながら考える」タイプの人なんだろう。ぼくもそうありたいと前々から思ってはいるが、なかなか行動にもっていけていない。
だが、村上氏の「適当な値をつっこんでコンパイルする勇気」「プライドを捨てて、人に聞いたり、頼ったりする勇気」はぼくがこれから何か行動を起こす時に、背中を押してくれる言葉になるだろう。ぼくは人に頼るのが苦手だ。人に対して適度なスキを見せることも苦手。他人に好かれる人の特徴って「真に頼りになるヤツ」か「ちょっと頼りないところもあるけど信用はできるヤツ」だと思う。村上氏の言うように、「必死に自分をよく見せようとしてるヤツ」は最後には信用されない。ぼくはそんな人も人間らしいからけっこう好きなんだけど。

「日本メーカーは、特殊な技術にこだわる」
これは最近特に感じる。この本にも書いてあるけど、スマホ連動家電はその象徴であるように思う。あと、製品のスペックとかを強調されても、一般人はそんなんよりカッコイイ方を買うよね。
ぼくは村上氏のようないわゆるIT系ではなく、ハードウェアが好きで、将来は製造業・ものづくりを通して人々に感動を与えたいと思っている。昨今の家電業界の落ち込みから、「日本の製造業は技術に頼り過ぎたからダメになった」「技術はピラミッドの最底辺」「いいものを作れば勝手に売れるってもんじゃない」などと言われ、前回書いたように工学系の学生の製造業に対する意欲、関心は全体的にますます下がっているように感じる。先人たちが必死に頑張ってきたことを否定されているみたいで、悲しい。けれども、将来の日本の製造業を支えて行くのはぼくを含めた今の学生たちなのだから、ぼくら一人一人がそれを受けとめた上でこれからどうするかを真剣に考えていかなければならないと思う。ぼくは日本人だから、日本が世界をリードする国になって欲しいと思っているし、日本の力になる存在になりたい。
この考えは、「自分の国の経済が豊かか、貧乏かというより、あなた個人が豊かか貧乏かという時代だ」という村上氏の考えとは違うが、ぼくは日本人にこそもっと日本のことを好きになって欲しいと思っている。

最後に、第4章の「『好きなことをやりなさい』と言う大人は無責任」。これは個人的に一番おもしろかったし、ハッとさせられた。「好きだからできるのではない、できるようになったから好きになるのだ」とは正にその通りだと気付かされた。
ぼくは、身近な人やある動画やある漫画などの影響を受けたこともあり、好きなこと、本当にやりたいことを我慢させてまでやりたくない勉強を押し付ける教育は間違っていると思っていた。しかし、村上氏の言う通り、好きなことだけをやったところで本当に人生をかけてまでやりたいことを見つけられる人はそういない。
ぼくが野球を好きだったのも、同年代の中ではそこそこ上手い方だったからだし、物理・力学が好きでいられるのもそこそこできるからではないのか。そう思うと、自分のことを棚に上げてよくそんなことを言えるよ、とつい昨日の自分が恥ずかしくなる。やりたくないことも含めたいろんなことを経験させる機会を与えることこそが大人が子供にしてやれる教育だと思い直した。


書きたいことを書いていたらずいぶん長くなってしまった。正に村上氏の言う「ブログが長くて面倒くさい人」だ。
ここまで読んでくれる人はひょっとしたら一人もいなんじゃなかろうか。
でもいいじゃん。ブログぐらいは自由に書かせてよね。

あ、もし見てくれている人がいたら下のアフィリエイトからこの本を買ってくれたら嬉しいです。
こんなん勝手に貼ったら著者に怒られないだろうか。よし、媚売っとこう。

とっても素晴らしい本です!!(本当です)

ソーシャルもうええねん (Nanaブックス)ソーシャルもうええねん (Nanaブックス)
(2012/10/26)
村上福之

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工学系の学生と接して思うこと

 
大学生になってから、もう5年半になる。詳細に言えば、大学生を5年やった後、大学院に進学して今は修士の1年生。
工学系の学部・研究科に属しているが、はっきり言って大学での講義や勉強は本当につまらなかった。講義は教授が研究の片手間でやっている高校の授業の延長のようなものばっかりだったし、その時やっていた学習内容がなんの役に立つのかを話してくれた先生はほとんどいなかったように思う。さらに、何かをどうしてもやりたくて大学に入ったわけではなかったので、大学というところはぼくにとってどうしようもなくおもしろくない場所だった。2回目の3年生になるまでは。

ほとんど学校に行かなかったので、当然のように単位が足りなくて留年し、2回目の3年生が始まった。時間だけはあったので、殆どの人が単位がすでに足りていて取る必要のない4年生用の授業を受けることにした。名目上は3年生までに習得した専門知識を発展させるというもので、それが実際に社会でどのように役立っているかということを企業から招いた講師にプレゼン形式で教えてもらうというものだ。
例えば重工から来た人はジェットエンジンに流体力学や熱力学がどのように使われるのかといったこと、電機メーカーから来た人は家電を設計する時にどのような工学的知識が用いられているのかということを熱心に語っていた。ぼくは恥ずかしながら、この時になって初めて自分のやっている学問が人の役に立っているという実感が湧いた。ただ各教科の勉強をして試験を受けるだけではわかるはずもない。

その時感じたのは、まず「なぜこれをやるのか」ということを理解していないと、なにかをやろうという気には到底ならないということ。その「なぜ」という部分は自分で見つけるものだと言われたらどうしようもないような気もするが、大学という教育の場においては、先生はそれぞれの学問について教え始める前に、それがいかに役に立つのかといったことを生徒に熱心に語り動機づけする必要があると思う。そう、今で言うと「日本のものづくりを支え、世界をリードする存在になるにはこの学問っていうのは欠かすことができないんだよ!」みたいな。そういう先生がいないと多くの学生はなかなか進んで勉強しようと思わないだろう。

その授業を受けてからは、ぼくは大学で学ぶことの意味を見つけ、これまで疎かにしていた勉強を自分から進んでやるようになった。そして、この頃からものづくりを通して日本の役に立ちたいと徐々に感じるようになった。そのため、専門分野やその周辺の分野についてもっと多くのことを学べる大学院に行くことを決めた。某重工さんと某電機の社員さんに本当に感謝したい。

前置きが長くなったが、大学院に進学し、同年代の学生と話していて最近よく思うことは、「お前らなんの目的で大学院にいるの?」ってことだ。大学院での勉強や研究は決して楽ではない。それをしたいと思わないなら大学院に行く必要はないとぼくは思う。実際に工学系でも学部卒でメーカーやその他の企業で働いている友人は少なくない。にも関わらず、大学院に来てまで「研究やりたくない。授業は必要最低限にしよう。」みたいな人が本当に多い。大学というモラトリアムを少しでも延長したいみたいな。こういうのを聞く度、すごく残念な気持ちになる。もちろんそうじゃない人もいるけど。
おそらく他の大学院でも同じようなものだろう。このままでは、ただでさえアメリカはもちろん韓国や中国にも押されまくってる日本のものづくり・製造業の将来は本当にアブナイ。ぼくを含めた日本の将来を担う今の学生に、なんとか問題意識を持ってもらうため、機会があればぼくの思いを話すようにしているが、「じゃあどうやったら日本の製造業はよくなるんだ」みたいに言われると、ぼくは具体的なことは何も言えなくなる。それを語るには自分の知識や理解が浅すぎると感じた。そこで、関連する本やニュース、ネットの記事などを読んだりしてまずは自分の考えを整理する必要があると思った。そしてそのアウトプットとしてブログを書くことにした。

かと言って特に製造業についてだけ書くつもりはなく、その他に自分がおもしろいと思ったことはこれからちょくちょくこのブログに書いていこうと思う。

同じようなことを考えている人がいれば、意見してもらえると嬉しいです。

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